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歴代最強馬ランキング!日本や世界で活躍したイクイノックスの順位は?

競馬予想サイトランキング2025 コラム

競馬ファンにとって永遠のテーマである歴代最強馬論争。

どの馬が強いのか、あの馬とあの馬が戦ったらどうなるのか…永遠にわからないからこそ、この論争は恐らく、競馬が存続する限り終わらない論題でしょう。

そこで、今回は競馬ナビの考える歴代最強馬ランキングTOP10を発表したいと思います。

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歴代最強馬ランキングTOP10

歴代最強馬の評価基準

  • 中央所属馬のみを対象として作成
  • 全馬「全盛期」を基準に選定
  • 「八大競走」およびジャパンカップの勝利馬を中心に選定(例外あり)
    ※八大競走とは皐月賞、東京優駿、菊花賞、桜花賞、優駿牝馬、天皇賞・春、天皇賞・秋、有馬記念を指す。

「想像していた馬が入っていない」という点も考えられますが、あくまでも競馬ナビの内で設定した基準に沿って作成したランキングとなります。

芝・順位 馬名
1位 ディープインパクト
2位 イクイノックス
3位 シンボリルドルフ
4位 オルフェーヴル
5位 ナリタブライアン
6位 テイエムオペラオー
7位 サイレンススズカ
8位 エルコンドルパサー
9位 ダイワスカーレット
10位 スペシャルウィーク

それでは、1位のディープインパクトから輝かしい経歴を解説していきます。

1位:ディープインパクト

馬名 ディープインパクト
性別
サンデーサイレンス
ウインドインハーヘア
母父 Alzao
馬主 金子真人HD
調教師 池江泰寿(栗東)
生産者 ノーザンファーム
生涯戦績 14戦12勝 [12-1-0-1]
生涯獲得賞金 14億5,455万円 (中央のみ)
主な勝ち鞍 2005年 無敗三冠
JRA賞受賞歴 リーディングサイアー(2012~2015年)
JRA顕彰馬選出(2008年)
年度代表馬(2005・2006年)
最優秀4歳牡馬(2006年)
最優秀3歳牡馬(2005年)

言わずと知れた無敗三冠馬。彼の主戦を務めた武豊騎手自身が「英雄」と名付けた二つ名を持つ同馬の走りは、「空を翔ぶような走り」と言われました。

国内で負けたのは3歳時の有馬記念のみ。

出走したレース全てで1番人気なのはもちろん、1倍台前半の単勝オッズが当たり前。中団後方からどんな展開でも「翔んでくる」その姿は、まだ幼かった私の心をつかんで離さない、本当の「英雄」でした。

どんな戦隊モノのライダーやアニメの主人公より輝いて見えたあの走りは、20年以上時が経った今でも鮮明に覚えています。

ディープインパクトとイクイノックスはどちらが強い?

恐らく今後はイクイノックスとどちらが強いのかという比較がされていくことになりますが、結論ディープインパクトのほうが強いと判断しました。

比較のポイントは「天皇賞・春をレコードタイムで勝っている」ということ。

加えて、「残り1000m地点では後方4番手にいながら坂の上りでロングスパートを開始し、4角先頭で直線を迎え、そこから上り最速で2着に3と1/2馬身をつけて勝利した」という、文字にしてみると意味不明なことを、あっさりとやってのける実力を持ち合わせていたことです。

まだその走りを映像で見たことがない方は、この機会にぜひ検索してみてください。恐らく「なんだこの馬は!?」となるはずです。先行馬が粘り切ろうとしている時にこんなことをされては、どんな名馬も太刀打ち不可能です。

「日本近代競馬の結晶」と評されたディープインパクトを超える衝撃は、果たしてこの先訪れるでしょうか。

2位:イクイノックス

馬名 イクイノックス
性別
キタサンブラック
シャトーブランシュ
母父 キングヘイロー
馬主 シルクレーシング
調教師 木村哲也(美浦)
生産者 ノーザンファーム
生涯戦績 10戦8勝 [8-2-0-0]
生涯獲得賞金 17億5,655万円 (中央のみ)
主な勝ち鞍 2023年 ジャパンカップ
2023年 ドバイシーマクラシック
JRA賞受賞歴 JRA年度代表馬(2022年・2023年)
JRA最優秀3歳牡馬(2022年)
JRA最優秀4歳以上牡馬(2023年)

ディープインパクトに並ぶ最強馬論争の座に、長らく君臨し続けていたシンボリルドルフ。その彼に並ぶほどの名馬がイクイノックスだと思っています。

「昭和」のシンボリルドルフ、「平成」のディープインパクト、そして「令和」のイクイノックス…というのはまだ気が早すぎですが、イクイノックスのポテンシャルは、間違いなく無敗の三冠馬2頭に肉薄、もしくは凌駕してしまうものを秘めていると思われます。

3歳時の春はジオグリフ、ドウデュースを相手に敗れ、惜しくもクラシックには手が届かなかったイクイノックスでしたが、秋初戦の天皇賞・秋を異次元の上り3F32.7秒で勝ち切ると完全に覚醒。以後は引退までG1を5連戦しすべてを勝利しました。

世界の最強馬を相手に圧勝

日本では最強の座に君臨したイクイノックスですが、その強さは国境を超え世界に最強の名を轟かせることとなります。特にドバイシーマクラシックでは世界を相手に圧巻の逃げ切り勝ちを決めています。しかも直線ほぼ追わずにアイルランドダービー馬のWest Overや、後に英G1のプリンスオブウェールズSを勝つMostahdafらを子ども扱いしての快勝。

この後行われたサンクルー大賞典でWest Over(ドバイSC2着)とZagrey(同3着)がワンツーを決めた時には、海外のメディアによって「この2頭に勝ったのが日本のイクイノックスである」と大々的に報じられました。

そんなパフォーマンスが評価され、与えられた評価は「世界1位のレーティング」。その実力を見せつけるかのように、帰国初戦の宝塚記念は大外から差し切り勝ちを決め、天皇賞・秋は1分55秒2という、競馬ゲームでも滅多に出ないような時計で圧勝

引退レースとなった2023年のジャパンカップは、大逃げを打ったパンサラッサを2番手にいたタイトルホルダーより先に交わすという強さで、自身の競走馬生活のフィナーレを飾りました。

ディープインパクトやシンボリルドルフなど、歴代の名馬と比較した際に唯一のマイナスポイントとなるのが「長距離G1での実績のなさ。

ただ、血統的には父キタサンブラック、母父キングヘイローならこなせるようにも思えます。トリッキーな有馬記念も勝利しており、現代競馬の3200mなら瞬発力勝負で押し切れてしまう予感も。

絶対に叶いませんが、彼が歴代の名馬と走る夢のレースを見てみたいものです。

3位:シンボリルドルフ

馬名 シンボリルドルフ
性別
パーソロン
スイートルナ
母父 スピードシンボリ
馬主 シンボリ牧場
調教師 野平祐二(美浦)
生産者 シンボリ牧場
生涯戦績 16戦13勝 [13-1-1-1]
生涯獲得賞金 6億8,482万円
主な勝ち鞍 1984年 無敗三冠
1985年 有馬記念
JRA賞受賞歴 優駿賞年度代表馬(1984年・1985年)
優駿賞最優秀4歳牡馬(1984年)
優駿賞最優秀5歳以上牡馬(1985年)
JRA顕彰馬(1987年選出)

ディープインパクトが出てくるまで、揺るぎない絶対王者として最強馬論争のトップに君臨していたのがシンボリルドルフ。その勝ち方、名前から「皇帝」という二つ名がつけられていました。

ディープやイクイノックスと比較しても脚質に派手さはありませんが、その分「絶対に好位置から交わし去る」という安定感がありました。

それは「横綱競馬」というより、「皇帝の絶対支配」とも取れるような位置取り。他馬が確実にルドルフを意識してレースせざるを得なくなるという強さでもありました。

デビュー戦である新潟芝1000m(当時は右回りで千直ではない)のレースを「1600mのつもりで乗ってくれ」と岡部騎手に依頼した野平師。

彼は後年「競馬に絶対はないが、ルドルフには絶対がある」という名言を残しています。そのくらい、ルドルフの強さには自信を持っていたのでしょう。

岡部騎手との名コンビで強い競馬を続けた

皐月賞でライバルとなるビゼンニシキを下して臨んだダービーでは、勝負所で仕掛けた岡部騎手に対してルドルフは全く反応しませんでした。

ところが、直線に入ると自らハミを取って進出を開始し、先を行く3頭を差し切って二冠達成。「ルドルフに競馬を教えてもらった」と、名騎手である岡部騎手に言わしめたのです。

そんな名騎手と名伯楽に、想像もつかないような強さを教えたシンボリルドルフ。当時の日本競馬にとって鬼門だったジャパンカップも、3歳時は3着(体調が万全でない+菊花賞から中1週)と好走し、翌年しっかりとリベンジ。

公営・大井のロツキータイガーと、レース創設5回目にして初の日本馬ワンツーを飾りました。

残念ながらアメリカ遠征ではレース中に左前脚繋靭帯炎を発症したこともあって6着に敗れましたが、日本国内では依然最強のまま引退。産駒にトウカイテイオーも輩出し、皇帝から帝王へ、その血脈は受け継がれていったのです。

ディープインパクトは後方一気、イクイノックスは自在性という脚質ですが、シンボリルドルフは競馬の王道である先行。

真に強い馬が後続をねじ伏せるその強さは、間違いなく現代でも通用するように思えます。

4位:オルフェーヴル

馬名 オルフェーヴル
性別
ステイゴールド
オリエンタルアート
母父 メジロマックイーン
馬主 サンデーレーシング
調教師 池江泰寿(栗東)
生産者 白老ファーム
生涯戦績 21戦12勝 [12-6-1-2]
生涯獲得賞金 13億4,408万円
主な勝ち鞍 2011年 三冠
2013年 有馬記念
JRA賞受賞歴 年度代表馬(2011年)
最優秀3歳牡馬(2011年)
最優秀4歳以上牡馬(2012年・2013年)
JRA顕彰馬(2015年選出)

凱旋門賞の制覇に最も迫った日本馬」であるオルフェーヴル。日本競馬の悲願であるそのタイトルまで、後僅かのところまで手が届いていました。

3歳時、皐月賞を制した時は4番人気の評価に過ぎなかったオルフェーヴル。ですが、この勝利を皮切りに、続く日本ダービーは不良馬場もものともせず優勝。神戸新聞杯は先行してあっさり勝利し、三冠最後の菊花賞は4角先頭で後続をねじ伏せ、ディープインパクト以来となる三冠を達成しました。

古馬初戦の阪神大賞典は大外に逸走して2着と敗れ、天皇賞・春は11着と大敗。本来の輝きが失われつつあると見られながら、ファン投票1位で出走した宝塚記念で復活の勝利を挙げます。

凱旋門賞での勝利は叶わず

威風堂々、日本代表として凱旋門賞に駒を進めましたが、結果は2着。4コーナー、大外から一気に先頭へ立ち、完全に勝ったと思われたところで内ラチに向かって逸走。

急激に失速すると盛り返してきた2番手のソレミアに差し負け、日本競馬の悲願はまたしても叶いませんでした。

騎乗したクリストフ・スミヨン騎手は「間違いなく一番強かった。凱旋門賞の4コーナーから馬なりで先頭に立てるような馬を僕は他に知らない」と語っていたように、実力は間違いなく届いていました。

その世界レベルの実力は評価しつつ、ステイゴールド産駒らしい気分屋なところも加味して、4位にランクインです。

5位:ナリタブライアン

馬名 ナリタブライアン
性別
ブライアンズタイム
パシフィカス
母父 Northern Dancer
馬主 山路秀則
調教師 大久保正陽(栗東)
生産者 早田牧場新冠支場
生涯戦績 21戦12勝 [12-3-1-5]
生涯獲得賞金 9億4,742万円
主な勝ち鞍 1994年 三冠
1994年 有馬記念
JRA賞受賞歴 年度代表馬(1994年)
最優秀3歳牡馬(1993年)
最優秀4歳牡馬(1994年)
JRA顕彰馬(1997年選出)

三冠達成時点で最強だった馬」というテーマで話をするのなら、もしかするとルドルフやディープよりも先にこのナリタブライアンが出てくるかもしれません。

デビュー前からその素質を高く評価されており、主戦騎手であった南井騎手が追い切りに騎乗した際に「オグリと同じ背中の感触だった」と語っています。

そのくらい将来を嘱望されていたナリタブライアンですが、2歳時は1200m戦が不適だったこともあり、デビューしてしばらくは成績が安定しませんでした。

しかし、適距離のマイルから中距離以降に距離がシフトしていくと、もう同世代に敵はいませんでした。京都3歳Sからダービーまで破竹の6連勝を飾り、見事に二冠を制覇します。

休養を挟んで復帰初戦の京都新聞杯こそ2着に敗れますが(単勝オッズは1.0倍でした)、本番の菊花賞は危なげなく後続をぶっちぎってレコードタイム(しかも兄・ビワハヤヒデが前年に打ち立てたレコードを更新して)で優勝。

この前週、兄・ビワハヤヒデは天皇賞・秋で故障を発生し完敗。そのまま引退となりました。だからこそ、この菊花賞の直線で「弟は大丈夫だ!」と杉本清氏が言ったセリフは、名実況として語り継がれています。

走るほどに成長と進化を遂げ続ける

三冠戦の着順は皐月賞からそれぞれ3と1/2馬身→5馬身→7馬身と広げており、走るたびに進化を見せていたナリタブライアン。

勢いそのままに暮れの有馬記念も制し、3歳にして中長距離路線の王者となった同馬の走りは、まさに天下無双と言えるものでした。

菊花賞で騎乗した南井騎手は「他馬に交わされることは絶対にない」と思い、を保護するゴーグルを3,4コーナーの中間で外しています。それくらい菊花賞時点、いや3歳終わり時点のナリタブライアンの強さは圧倒的でした。

故障により長期休養を挟んだ後のナリタブライアンは、一度も全盛期の走りになかったと言われています。

もし3歳の時の実力のまま古馬シーズンを迎えることができていたのなら…その願いの片鱗は、彼が4歳初戦の阪神大賞典で見せた走りに詰まっているような気がします。

6位:テイエムオペラオー

馬名 テイエムオペラオー
性別
オペラハウス
ワンスウエド
母父 Blushing Groom
馬主 竹園正繼
調教師 岩元市三(栗東)
生産者 杵臼牧場
生涯戦績 26戦14勝 [14-6-3-3]
生涯獲得賞金 18億3,518万円
主な勝ち鞍 2000年 古馬王道完全制覇
1999年 皐月賞
JRA賞受賞歴 JRA賞年度代表馬(2000年)
最優秀4歳牡馬(1999年)
最優秀5歳以上牡馬(2000年)
顕彰馬(2004年選出)

オペラオーの競馬はつまんねえんだ。出たら絶対勝つんだから

昔、父がそんな話を筆者にしてくれたことがあります。

2000年にテイエムオペラオーが樹立した8戦8勝、古馬王道G1完全制覇(当時)という記録は、2025年2月現在でも破られることのない偉大な記録です。

特に有馬記念で見せた走りは圧巻。レース当日の朝に額を強打し、内出血がある状態での出走となったオペラオーを、まるで全ての馬が囲むかのように道中を進めていきます。

勝ち続けると、全ての馬が敵になる」という、後年のJRA・CMでも使われた表現がまさにぴたりと当てはまるような構図で、オペラオーは完全に身動きが取れなくなりました。

しかし、直線半ばで馬群がばらけると、僅かな隙間を突いてオペラオーは伸び、200m強のみのレースで前を行く10頭を差し切って見せました。この走りに、各陣営は脱帽。かつてルドルフを管理した野平祐二師に「ルドルフを超えたと言われても反論しない」言わしめるレースぶりでした。

古馬王道完全制覇はテイエムオペラオーのみ

これまで取り上げた馬に比べると、勝ち方に派手さはありません。この連勝中に彼がつけた最大の着差は天皇賞・秋の2と1/2馬身で、後は全て0.0~0.1のタイム差。地味な印象がぬぐえないのに加え、「勝ち過ぎて面白くない」という印象が、名馬の割に評価を下げている要因でしょう。

それでも、年間無敗の古馬王道完全制覇は、2025年現在、彼以外に成し得た馬はいません。

現代では海外遠征の充実や番組表の拡大によって、春古馬三冠や秋古馬三冠すべてのレースに出走する馬は減少し、同一年に古馬中長距離戦線のG1を複数勝つような馬すら珍しくなっています。

そんな路線を一度も負けずに駆け抜けたテイエムオペラオーは、間違いなく歴史に名を残す偉業を成し遂げているのです。

7位:サイレンススズカ

馬名 サイレンススズカ
性別
サンデーサイレンス
ワキア
母父 Miswaki
馬主 永井啓弐
調教師 橋田満(栗東)
生産者 稲原牧場
生涯戦績 16戦9勝 [9-1-0-6]
生涯獲得賞金 4億5,598万円
主な勝ち鞍 1998年 宝塚記念
JRA賞受賞歴 特別賞(1998年)

正直、一番ランキングに入れるか迷ったのがこのサイレンススズカです。

G1は1勝。JRA賞の受賞も特別賞のみ。戦績だけ見ればこの最強馬ランキングに割って入れるような成績ではないという人も中にはいるでしょう。

しかし、彼が見せた伝説の戦績は、間違いなくここに名を連ねている名馬たちに劣らないものだと思うのです。

3歳時には弥生賞でゲートをくぐるなど、まだまだ若さを見せていたサイレンススズカ。
秘めたる素質は確かながら、控える競馬を覚えさせたいという陣営の思惑と気性がなかなか合致せず、安定しない成績で春シーズンを終え、逃げに脚質をシフトした秋も勝利を挙げられないまま3歳を終えます。

ですが、暮れに遠征した香港で手綱を取った武豊騎手は「この馬、化け物ですよ」と、同馬の実力を高く評価。

4歳初戦のバレンタインSには、サイレンススズカのためだけに武豊騎手が東上してきたほどです。

無敗のエルコンドルパサーにも完勝

サイレンススズカと武豊騎手のコンビは連戦連勝。金鯱賞ではコースレコードを記録する「逃げて差す」競馬で2着馬を2秒近く離して圧勝し、宝塚記念は後続を引き付けながらもエアグルーヴを抑え切って逃げ切り勝ちを決め、初の、そして生涯唯一のG1制覇を挙げました。

そしてあの有名な毎日王冠。グラスワンダーとエルコンドルパサーという無敗の外国産馬2頭をチャンピオンとして迎え撃ち、影をも踏ませない逃走劇で完勝。逃げて上り3Fは35.1秒というメンバー中2位の末脚で勝利したその強さは、もう誰にも止めることのできないものと思われました。

翌年、フランスに渡ったエルコンドルパサー陣営のコメントが、彼の強さをより際立たせています。
それは「国内の馬との勝負付けは済んだ…。

彼が日本で負けたのはただ1頭、サイレンススズカのみです。それほどまでに、この毎日王冠での彼の走りは、誰も勝つことができないといえるものでした。

逃げ馬の究極系」にとどまらず、「サラブレッドの究極系」とも評されたサイレンススズカ。次走、天皇賞・秋で、彼はスピードの向こう側へ駆け抜けていきました。

8位:エルコンドルパサー

馬名 エルコンドルパサー
性別
Kingmambo
Saddlers Gal
母父 Sadler’s Wells
馬主 渡邊隆
調教師 二ノ宮敬宇(美浦)
生産者 Takashi Watanabe
生涯戦績 11戦8勝 [8-3-0-0]
生涯獲得賞金 3億7,607万円 (中央のみ)
主な勝ち鞍 1999年 サンクルー大賞典
1998年 ジャパンカップ
JRA賞受賞歴 JRA顕彰馬選出(2014年)
年度代表馬(1999年)
最優秀4歳以上牡馬(1999年)
最優秀3歳牡馬(1998年)

あるアメリカの専門誌には「この馬の血統を見よ!」と、エルコンドルパサーの血統が取り上げられたと言います。そのくらい、強烈なインブリードが内包されていたエルコンドルパサー。

彼の血統では、Special、Lisadell  4 x 4 x 3、Northern Dancer  4 x 3、Native Dancer  4 x 5というクロスが発生。優れた遺伝を抽出するために行われるインブリード配合ですが、それは同時に近親配合となるため、体質の弱さなどが遺伝しやすい諸刃の剣ともなる配合理論なのです。

果たしてエルコンドルパサーの配合は成功しました。デビュー戦はダートでしたが、最後方から直線だけで前を行く8頭を交わして7馬身差の圧勝を挙げます。

芝のレースでもその強さは本物で、初の芝となったニュージーランドトロフィーも楽勝。そのままNHKマイルCも勝ち、秋には世界の強豪を相手にジャパンカップもあっさりと勝利して見せました。

日本から世界の舞台へ

翌年、渡仏したエルコンドルパサーは、早い時期から凱旋門賞を目指して調整が進められ、欧州2戦目のサンクルー大賞典を制覇。続くフォワ賞も勝利し、本命候補の1頭として凱旋門賞に駒を進め、残り150mまで先頭で粘り続けました。

最後こそモンジューに交わされてしまったものの、世界最高峰のレースで日本馬が後僅かのところまで来たという事実は、間違いなく日本のホースマンに活力をもたらしました

エルコンドルパサーが貰ったレーティングの数値は「134」。2023年にイクイノックスに抜かされるまで、日本調教馬1位の値を保持し続けていました。

9位:ダイワスカーレット

馬名 ダイワスカーレット
性別
アグネスタキオン
スカーレットブーケ
母父 ノーザンテースト
馬主 大城敬三
調教師 松田国英(栗東)
生産者 社台ファーム
生涯戦績 12戦8勝 [8-4-0-0]
生涯獲得賞金 7億8,668万円
主な勝ち鞍 2008年 有馬記念
2007年 エリザベス女王杯
JRA賞受賞歴 最優秀3歳牝馬(2007年)
最優秀父内国産馬(2007年)

アーモンドアイやジェンティルドンナなど、数多の女傑が出てきた今でも、このダイワスカーレットを超える衝撃をくれたような名牝には、未だ出会えていません。

3歳時に桜花賞を勝ち、秋華賞、エリザベス女王杯も制覇。熱発がなければほぼ間違いなく牝馬三冠を達成していたであろう彼女は、暮れの有馬記念でも並みいる強豪を退けて2着。

翌年、始動戦とした大阪杯を勝ちながらも故障。休養を挟んで迎えた天皇賞・秋でのウオッカとの激闘は、20年近くも前のことなのに鮮明に覚えています。

1000m通過は58.7秒というハイペース。その厳しいペースを作りだしたダイワスカーレットは、道中、上がってきたトーセンキャプテンに突かれ、息を入れる暇が全くないまま直線へ。通常であれば、完全に負けパターンです。

絶好のタイミングで追いだしたウオッカとディープスカイが満を持して迫ってきた坂の頂上で、そのまま飲み込まれていくかに見えました。

しかし、ダイワスカーレットはライバルであるウオッカを見て火が点いたのか、そこからもう一度盛り返して叩き合いに。ハイペースで逃げ、息も入れずに最後の直線で盛り返してくるような馬は、20年後の現在でも見たことがありません。

迫ってきたディープスカイは競り落とし、外のウオッカと馬体をあわせての大接戦ドゴーンでゴールイン。勝負の行方は写真判定に持ち込まれ、13分に及んだ写真判定の結果は、ハナ差でウオッカに軍配が上がりました。その着差は僅か「2センチ。

敗れはしたものの、ダイワスカーレットも勝者と呼んでいいとさえ思えるような、そんな激闘でした。

最後舞台有馬記念でも連対率100%を守った

次走に選んだ有馬記念では、前年の雪辱を晴らす快勝劇。

連対率100%のまま、稀代の女傑はターフに別れを告げました。

10位:スペシャルウィーク

馬名 スペシャルウィーク
性別
サンデーサイレンス
キャンペンガール
母父 マルゼンスキー
馬主 臼田浩義
調教師 白井寿昭(栗東)
生産者 日高太陽牧場
生涯戦績 17戦10勝 [10-4-2-1]
生涯獲得賞金 10億9,262万円
主な勝ち鞍 1999年 ジャパンカップ
1998年 日本ダービー
JRA賞受賞歴 特別賞(1999年)

2024年のジャパンカップでは、オーギュストロダンやゴリアットなど、海外の強豪を相手に日本代表として挑むドウデュースが「日本総大将」として多くのファンから応援されていました。

そんな「日本総大将」の二つ名を、最初にジャパンカップで使われたのがスペシャルウィーク。ディープインパクトが出てくるまでは、父サンデーサイレンスの最高傑作としても名高かった存在です。

3歳時はセイウンスカイ、キングヘイローと共に「三強」を結成。皐月賞と菊花賞こそセイウンスカイの前に敗れますが、日本ダービーは道中10番手のいわゆる「ダービーポジション」からレースを進め、上り最速の末脚でぶっちぎりの快勝。騎乗した武豊騎手は、初のダービージョッキーの栄冠を掴みました。

古馬になって以降も天皇賞・春を勝利し、古馬路線では存在感を発揮。ですが、宝塚記念でグラスワンダーの後塵を拝し、京都大賞典はまさかの7着敗退。

誰もが「終わった」と思った天皇賞・秋で馬体をきっちり絞って来ると、直線で外から目の醒めるような直線一気。最後は粘るステイゴールドを僅かに捉え、復活のG13勝目を飾りました。

レースの後、武豊騎手が前年、競走中の事故でこの世を去ったサイレンススズカの名前を出し「彼が背中を押してくれました」と語った話はあまりにも有名です。

そして次走、無事なら前年、サイレンススズカも出走するはずだったジャパンカップに「日本総大将」として参戦。モンジューやタイガーヒルなど、海外の強豪を相手に流石の走りで連勝を飾りました。

ラストランでグラスワンダーと見せた激闘は、今も多くの競馬ファンの心に残っています。

もしかすると本当にサイレンススズカの魂が、秋のスペシャルウィークを少しだけ後押ししてくれていたのかもしれません。

ダート歴代最強馬ランキングTOP5

ダート・順位 馬名
1位 フォーエバーヤング
2位 クロフネ
3位 スマートファルコン
4位 ホクトベガ
5位 カネヒキリ

ここまで挙げた馬達はいずれも芝で結果を残してきた馬。そもそも八大競走を軸としての選定のため、ダートで活躍した馬は必然的に除外されることになります。

ですが、昨今のフォーエバーヤングの活躍で、ダートで歴代最強だったのはいったいどの馬なのか、という疑念を抱いている人も数少ないはず。

ここではその疑問に答えるべく、ダートTOP5を上記の基準(八大競走の項目は除く)にのっとり選定しています。

地方馬のみのランキングは機会があれば別で取り上げたいと思いますので、今回は中央所属馬のみでのランキングをお楽しみください。

1位:フォーエバーヤング

馬名 フォーエバーヤング
性別
リアルスティール
フォエヴァーダーリング
母父 Congrats
馬主 藤田晋
調教師 矢作芳人(栗東)
生産者 ノーザンファーム
生涯戦績 11戦8勝 [8-0-3-0]※2025年6月現在
生涯獲得賞金 23億8193万5900円
主な勝ち鞍 2025年 サウジカップ
2024年 東京大賞典
JRA賞受賞歴 特別賞(2024年)

競馬を見続けて20数余年が経つ自分ですが、全てを見て総合的に下した結論は、フォーエバーヤングがダートでは史上最強となるということでした。

中央で走ったのはデビュー戦の1戦のみ。後は地方と海外を転々とし続けている同馬ですが、各地で残してきた戦績はとんでもないもの。

サウジ・UAEダービーを勝って臨んだケンタッキーダービーでは勝ったMystik Danへは僅かに及ばなかったものの3着。日本馬がケンタッキーダービーでここまで、それもタイム差無しの3着まで来たという事自体快挙なのですが、その後も同馬は国内でジャパンダートクラシック、東京大賞典をあっさり勝利しています。両レースとも、遠征の疲れも微塵も感じさせないような快勝劇でした。

秋に挑んだBCクラシックこそ3着でしたが、年明けで臨んだサウジカップでは完全に勝ちパターンへ入ったロマンチックウォリアーを一完歩ずつ追い詰め交わし去る勝利。
4コーナーでは同馬に突き放されており、誰もが勝利を諦めるような展開であったはず。通常であればあのまま差をつけられて終わりであるような状況から、確実に伸びてその差をひっくり返しました。

この話は何も盛っているわけではありません。事実、上位2頭が3着馬につけた着差は大差の10馬身。いかに両頭が段違いな実力であったかが、映像を見ると余計に浮き彫りになってきます。

続くドバイワールドカップは伸びずに3着でしたが、日本馬がこの舞台で1.1倍という圧倒的1番人気に支持されたことは、歴史に残る大快挙です。果たして今後、どのような強さを我々に見せてくれるでしょうか。

2位:クロフネ

馬名 クロフネ
性別
フレンチデピュティ
ブルーアヴェニュー
母父 Classic Go Go
馬主 金子真人
調教師 松田国英(栗東)
生産者 Nicholas M. Lotzo
生涯戦績 10戦6勝 [6-1-2-1]
生涯獲得賞金 3億7,023万円
主な勝ち鞍 2001年 ジャパンカップダート
2001年 NHKマイルカップ
JRA賞受賞歴 最優秀ダートホース(2001年)

競走生涯こそ3歳で終わり、ダートを走ったのは僅か2戦。しかしそれでも、フォーエバーヤングが出てくるまではこの馬が最強だと思わされる存在でした。

3歳の春までは芝を走り、当時はまだ「マル外ダービー」として機能していたNHKマイルカップを制覇。この年はこれまで出走権がなかった外国産馬にもクラシックの参戦が認められた元年で、NHKマイルカップを勝ったクロフネは勇躍、このレースにマル外代表として挑みました。

が、結果は5着。秋の始動戦に選んだ神戸新聞杯を3着としたことで菊花賞への優先出走権は得ましたが、陣営は距離適性を考えて天皇賞・秋への出走を決めますが除外。収穫賞金自体は足りていますが、当時はまだ外国産馬の出走枠が2枠しかなく、クロフネは上から3枠目だったことにより出走が叶いませんでした。

ならばと出走した天皇賞・秋前日の武蔵野S。ただ、芝のG1馬とはいえ初のダートの懸念もあり、1番人気とはいえ抜けてはいないオッズ構成でゲートインとなりましたが、いざレースに行ってみれば3コーナーから一気に進出して快勝。これまでの東京ダート1600mで記録されていたレコードを1秒2(しかも前のレコードは時計の出やすい稍重馬場で、こちらは出にくい良馬場)も更新する快勝劇でした。

そして次走、アメリカの賞金王リドパレスを筆頭に実力馬が揃ったジャパンカップダート(現:チャンピオンズカップ)でも、まるで前走のリプレイを見るかのように3コーナーで大まくりして圧勝。このレースの走破タイム2分5秒9は、東京競馬場が改修される前のレコード記録として輝きましたが、改修されてから20年以上が経ち、タイムが高速化してきた現在でも破られていない、不滅のレコードタイムとして輝いています。

3位:スマートファルコン

馬名 スマートファルコン
性別
ゴールドアリュール
ケイシュウハーブ
母父 ミシシッピアン
馬主 大川徹
調教師  畠山吉宏(美浦)→小崎憲(栗東)
生産者 岡田スタッド
生涯戦績 34戦23勝 [23-4-1-6]
生涯獲得賞金 9億9073万6000円
主な勝ち鞍 2010・11年 東京大賞典
2010・11年 JBCクラシック
JRA賞受賞歴 なし

JRAの出走は3歳の8月、2008年が最後。以後引退する2012年まで地方ダートグレードを走り続けた「砂の逃亡者」スマートファルコンが3位にランクインです。

しかし、実は彼が頭角を現し始めた4歳から5歳時、あまりスマートファルコンを良く思うファンはいませんでした。

なぜなら、収穫賞金が十分に足りていながら地方のG1級レースではなく、G2やG3に出走し続けて賞金をかっさらっていく

、一部では「ドサ回り」と揶揄された行為を徹底していたからです。

馬券を買うファンからしても、毎回1番人気が決まり、当たり前のように勝つ姿を見せられ、勝ったからといって上のグレードにチャレンジするわけでもないことを続けられれば興も冷めます。

ですが、このローテーションにはしっかりした理由がありました。それは同馬が引っかかりやすい気性難であったため、一番実力を発揮しやすい適性を探していたこと。加えて当時はまだ夏の降級制度があり、本賞金が一気に半額になるという理由もありました。G1級の競走に出るにしても、当時のダート路線はエスポワールシチー、サクセスブロッケンを筆頭に超G1クラスの馬が多数。

こうなればダートグレードの番組が少ない中央より、地方のレースで適性を探しながら賞金を稼ぐというのは妥当でしょう。そして結果的にここで賞金を稼いだことで、後のG1級競走への出走が楽になっています。

そして賞金を稼いだ5歳秋、JBCクラシックで武豊騎手に導かれて逃げの手に出ると、1000m58秒1という超ハイペースで逃げながら上りはメンバー中最速でそのまま後続を抑え切るという、常識外れの大逃げをやってみせました。

次走、中1週という厳しいローテで出走した浦和記念でもこの競馬をやってのけたスマートファルコンは完全に覚醒。続く東京大賞典では1000m58秒9というとてつもないハイペースで逃げ、当時の地方総大将であるフリオーソに1と3/4馬身差という着差以上の圧勝劇を飾ったスマートファルコンが叩きだした走破時計は2分コンマ4秒。これは2025年現在も破られていない、ダート2000mの日本レコードタイムです。

この後もG1級競走で存在感を発揮し、翌6歳時には年間無敗の快挙を達成。強豪ぞろいのダート路線で、誰にも影を踏ませなかったその実力は、十分、歴代最強馬の称号に値するでしょう。

4位:ホクトベガ

馬名 ホクトベガ
性別
ナグルスキー
タケノファルコン
母父 フィリップオブスペイン
馬主 金森森商事
調教師 中野隆良(美浦)
生産者 酒井牧場
生涯戦績 42戦16勝 [16-5-4-17]
生涯獲得賞金 8億8812万6000円
主な勝ち鞍 1996・97年 川崎記念
1993年 エリザベス女王杯
JRA賞受賞歴 最優秀ダートホース(1996年)

まだダート路線が黎明期であった時代に、「砂の女王」として君臨したホクトベガ。彼女の栄光も忘れてはいけません。

元々芝で活躍し、G1も勝利していた同馬。「ベガはベガでもホクトベガ」のフレーズを一度は聞いたことがあるという人も多いでしょう。

そんなホクトベガですが、その勝利以降は本格的なスランプに。中間、札幌記念を勝利はしていますが、まだこの時代の牝馬が芝で牡馬を相手に戦い抜くというのは厳しい状態。食い下がれていたのはヒシアマゾンくらいのもので、ホクトベガ以外にもメジロラモーヌやベガなど、数多の名馬が牡馬に戦いを挑んで敗れていました。

しかし、1994年に中央と地方の交流競走が開設されたことで、ホクトベガに転機が訪れます。中央馬代表として出走した初戦のエンプレス杯で、彼女は2着のアクアライデンに3.6秒差の大差をつける圧勝劇を飾って見せます。この記録は2025年現在でも破られていない、同レース史上最大の着差です。

その後芝でも何戦かしましたがやはり通用せず、陣営は本格的にホクトベガをダート路線で走らせることを決定。
まだグレード格付け前の時代だったとはいえ、川崎記念やマイルチャンピオンシップ南部杯で同馬が相手にしてきた牡馬は、当時のダート路線では一線級の馬達でした。そんな彼らを走る度に千切り捨てるホクトベガは、まさに「砂の女王」。当時よりダート路線が整備された現代の番組であれば、間違いなくG1級競走を勝ちまくっていたように思います。

そして7歳の冬、ホクトベガは川崎記念を勝利してナド・アルシバ競馬場で行われたドバイワールドカップに参戦し、帰らぬ馬となりました。
多くの人の夢を乗せて旅立った彼女は、今もドバイの空で日本馬の活躍を見守っています。

5位:カネヒキリ

馬名 カネヒキリ
性別
フジキセキ
ライフアウトゼア
母父 Deputy Minister
馬主 金子真人
調教師 角居勝彦(栗東)
生産者 ノーザンファーム
生涯戦績 23戦12勝 [12-5-1-5]
生涯獲得賞金 8億5161万3000円
主な勝ち鞍 2005・08年 ジャパンカップダート
2006年 フェブラリーステークス
JRA賞受賞歴 最優秀ダートホース(2008年、2005年)

こっちは砂のディープインパクトだね」主戦騎手・オーナーも同期の三冠馬と一緒。加えてダートでは連戦連勝の強さになぞらえて、人々は彼をそう呼びました。

3歳時、芝では2戦続けて着外に終わっていたカネヒキリでしたが、初のダート戦で一変してぶっちぎり。OP入りした後に挑んだ毎日杯で完敗に終わったことを機に、陣営は完全にカネヒキリをダート路線にシフトします。

その後は走る度に勝つ状態。武蔵野Sこそ出遅れて2着となったものの、ジャパンカップダートとフェブラリーステークスは快勝で、ディープインパクトに先駆けて海外遠征を敢行。

勇躍挑んだドバイワールドカップこそ4着でしたが、帰国初戦の帝王賞も大井の雄、アジュディミツオーとマッチレースを繰り広げて2着と、4歳にして既に路線の頂点に立っていました。

しかし、そのレース後に屈腱炎を発症。引退はせず、懸命に治療を続けましたがまた再発。それでもあきらめずリハビリをしたことで2年後の武蔵野Sで復帰が叶ったものの、結果は9着と奮わず。「砂のディープインパクト」として君臨していた本来の姿が見られなかったことに加え、彼が不在の間にヴァーミリアンやサクセスブロッケン、カジノドライヴといった新時代のダート王たちも出ていたことで、次走のジャパンカップダートでは4番人気に甘んじました。

ですがレースは、その評価をひっくり返す1着。続く東京大賞典でもヴァーミリアンに勝利してG1級競走を見事に連勝しました。2年の時を経て、かつての王者は遂に王座を奪還したのです。

その後も骨折などに見舞われながら、8歳の夏まで現役を続けたカネヒキリ。懸命に競走生涯を走り抜けた彼の姿は、同期にいた無敗の三冠馬同様、間違いなく誰かの「ヒーロー」でした。

番外編:フラムドパシオン

馬名 フラムドパシオン
性別
クロフネ
カーリーパッション
母父 トニービン
馬主 サンデーレーシング
調教師 角居勝彦(栗東)
生産者 ノーザンファーム
生涯戦績 11戦5勝 [5-1-3-2]
生涯獲得賞金 8192万7000円
主な勝ち鞍 2006年 ヒヤシンスステークス
JRA賞受賞歴 なし

今回の選定基準は満たしていないためランクインはできませんでしたが、昔から競馬を見ている人ならばこの馬を挙げる人も間違いなくいるはず。

その馬の名はフラムドパシオン。OPのヒヤシンスSを勝っただけの馬と思われがちかもしれませんが、最大の見せ場はこのレースの後に遠征しているUAEダービーで3着となったこと。この文字だけ見れば、「国際G2で3着なだけかよ。そんな馬いっぱいいるわ」と思われそうですが、ここからがこの馬の違うところ。このレースは「史上最高のUAEダービー」と言われているのです。

1着のDiscreet Catは3歳秋までアメリカのダート路線を無敗で駆け抜け、最終戦のシガーマイルハンデをサンデーサイレンスのライバルであるイージーゴアが樹立したレコードに並ぶタイムで快勝。4歳にはドバイワールドカップにも挑戦し、この年いっぱいで種牡馬入り。日本でも父や母の父として活躍馬を送り出しているため、なじみ深い人は多いでしょう。

そしてフラムドパシオンが4着に下したInvasorはこの後ウルグアイ三冠を達成し、翌年のドバイワールドカップで勝利して引退。

あのイクイノックスも輝いた「世界一位」の称号に、この馬は輝いているのです。しかも、同馬が生涯で負けたのはこのUAEダービーだけ。

さらに11着のWell Armedは、2009年にドバイワールドカップを勝利。
2頭のドバイワールドカップ馬に先着し、名種牡馬となった馬相手に好走したという戦歴は誇れるものでしょう。

そしてこの遠征の後、同馬は右前脚の浅屈腱炎を発症。治療の甲斐あって現役に戻り、OPクラスまでは戻りましたが、やはり遠征前の方が実力はあったと思わさざるを得ない走りでした。

世界のダート界の頂点に立つ馬達に先着していたフラムドパシオン。もし、UAEダービーの後も無事で過ごせていたのなら…魔界のダート路線を統一する王者になれていたかもしれないと思わずにはいられない、「たられば」の1頭です。

歴代最強馬のまとめ

ここまでTOP10形式で、人々の記憶に残る名馬を紹介してきました。

しかし、決してここにランクインしなかった馬達も、この馬達に劣るというわけではありません。

競馬の醍醐味は「血統」を、そして「時代」を追えるという事。あの馬とあの馬が戦ったら、もしもあの時あの馬があのレースに出てきていたら…そんな妄想を居酒屋や競馬場で仲間たちと語らうのが、一番楽しいひとときだったりするのです。(いや、一番うれしいのは万馬券が当たる瞬間ですけどね!)

人はだれしも自分の中に「最強馬」がいます。

その馬達を超える名馬を見る瞬間は、もしかすると今日この時かもしれません。次なる「最強」になるために、今日も優駿たちはターフを駆けていきます。

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中央予想 券種 的中金額
2025年6月29日 函館11R 3連単6点×800円 的中2,093,970円
2025年6月29日 福島12R 3連単10点×500円 的中4,922,750円
2025年6月29日 小倉1R 3連単6点×800円 的中589,600円
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